【男性 苗字変更】結婚で苗字変更した僕の体験談 – アイデンティティの喪失
婚姻届に新しい名前を書いたとき、言いようのない喪失感に襲われた――。
これは、私自身が結婚し妻の姓に変えたときに感じたことです。
結婚は新たな人生の始まりであると同時に、これまで積み重ねてきた自分の一部を失うことでもあります。特に男性の場合、苗字変更は少数派であり、その心の揺れ動きは周囲に理解されにくいかもしれません。
2023年の内閣府のデータによると、結婚に際して夫の姓に統一した夫婦が94.5%、妻の姓に統一したのが5.5%だそうです。
なかなか共感も得られないでしょうことを書き連ねておきます。
私が苗字を変えた理由
特に理由はありません。性を変えるのに理由なんか必要ないと思います。
ただ法律上、夫婦同姓と定められているます。どちらかの姓に統一しなければなりません。
そこで苗字はできれば変えたくないという妻の意向と、仕事の都合上、妻の姓の方が都合がいいという事情があり、私が苗字を変えることにしました。
元々、姓を変えることに関しては姓や家に対して拘りは全くありませんでした。氏名変更の各種手続きが大変に面倒な点だけが不満であり、そこは仕方なく受け入れました。
そうして、特に何も考えることなく、私は旧姓から新姓に変更しただけです。
これより便宜上、私の名前を「(旧姓)佐藤健、(新姓)加藤健」とします。
佐藤健(仮名)が結婚し、妻の姓に変更して加藤健(仮名)になったと考えてください。
自分宛の郵便物すら本名で受け取ることができない
婚姻届を提出し、妻の姓である「加藤」に変わり、マイナンバーカードの受取人氏名欄に新しい名前「加藤健(仮名)」と記入したとき、私のアイデンティティは静かに崩壊していくのを実感しました。
自分宛の郵便物すら、佐藤健(仮名)として届けられないということに、ものすごくショックを受けました。
加藤健(仮名)さんという、どこか他人の荷物を、私が本人として受け取るのです。
そのことを受取人氏名欄に新姓で名前を記入するときに、今日強烈に実感しました。
「ああ、もう二度と『佐藤健(仮名)』として郵便物を受け取ることはないんだ…」
そしてそんなことがこれから続いていく。佐藤健(仮名)という存在は忘れ去られていく。無かったことになっていく。
その事実に気づいた瞬間、言いようのない喪失感でいっぱいでした。
これからは佐藤健(仮名)として生きられない
当時30歳。平均寿命まで生きるとすれば、「加藤健(仮名)」として生きる時間の方が圧倒的に長くなります。それは、「佐藤健(仮名)」としての人生の終わりを意味していました。
「佐藤健(仮名)」という存在は、すでに「死んでしまった」。まるで自分の亡骸を生きながら見ているような、奇妙な感覚になりました。
これまで「佐藤健(仮名)」として積み重ねてきた30年の人生が、まるで無かったことのようになり、「加藤健(仮名)」という赤の他人に私の人生がすげ替えれらえるのです。
その喪失感は、想像を遥かに超えるものでした。
通常、自分の死を自ら経験することはできません。しかし、改姓は、これまで生きてきた自分の終わりを、生きたまま見せつけられるような、残酷な儀式のようでした。
「加藤健(仮名)」として生きることが嫌なのではありません。「佐藤健(仮名)」として生きられなくなることが、ただただ悲しいのです。
苗字変更で何を感じるかは人それぞれ
私は苗字変更による喪失感は、思ったよりも大きなものでした。
このような喪失感はなかなか共感されない気がします。実際、共感しながらこの記事を読んでくれている人は一人も現れないかもしれません。
実際、姓を変えた男性が「4%の男」としてnoteを書いたり記事になったりした方は、「レア苗字になれて話のネタになるぜ。ヒャッハー!」的な感じでしょうか。
一方で、私と似たようなことを感じていそうな方を見つけました。
とてもいい文書です。読み心地がとてもよかったので、ぜひ読んでみてください。
同じように、改姓したら喪失感を抱いたという稀有な同志がもしいれば、私はここにいます。
過去の自分が今の自分を形作っているという事実は変わりません。
私は今は「佐藤健(仮名)」と「加藤健(仮名)」の両方を自分の中に飼って、新たな人生を歩んでいます。
この経験が、同じように改姓による心の揺らぎを感じている方々にとって、少しでも共感と勇気を与えることができれば幸いです。
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