労働は休日をより豊かにするために必要なものだと思った
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今回の年末年始は9連休ということもあり、とても充実した時間を過ごすことができました。忘年会では県外の友人たちとお酒を酌み交わし、コミュニティの集まりにも参加。新年は初詣がてらに軽く登山、友人たちと家で昼間から日本酒を楽しむ新年会。心も体も満たされた、楽しいひとときでした。
しかし、その充実した時間の代償もありました。
予定のない時間の喪失感
楽しい時間を過ごした後、予定のない二日間がありました。この二日間は何もすることがなく、楽しかった日々の反動なのか、虚無感に包まれてしまい、全く活力が湧きませんでした。妻と二人で夜、寂しいね、なんだろうこの感情は、と喪失感を分かち合いました。
これが、楽しい時間の「落とし穴」なのかもしれません。
過ぎたるは及ばざるがごとし
これは、ある話を思い出させます。定年退職した方が、退職後に毎日ゴルフ三昧の生活を夢見ていたものの、実際にそれを始めてみると、たった1カ月で飽きてしまったという話です。あれだけ好きだったゴルフも、毎日となると楽しさが薄れてしまう。仕事を頑張ってきた原動力だった「楽しみ」が、当たり前になることで失われてしまったらしいのです。
もっといえば、FIRE後の悩みの話にも通じる話かもしれません。仕事が嫌でFIREを目指した人は、FIREとは仕事から解放された幸せな日々が待っていると思っていたのに、実際にはやることがなく、暇な日々を過ごし、つまらない日常が嫌になってしまうが、その悩みも誰にも話せない。労働があったから、休日が映えていただけという。
「少しの非日常」を楽しむ工夫
これらを踏まえると、日々の中に少しの「非日常」を織り交ぜながら生活を楽しむことが大切だと思います。たとえどんなに素晴らしい経験でも、それが日常になると特別感は失われてしまう。だからこそ、楽しいことは適度に非日常と思えるように、味わうべきなんだろうなと。
逆に言えば、日常の部分の小さな幸福度を上げておくことが幸福度を上げるために重要なのかもしれない。
日常とは、朝起きて仕事や家事をこなし、食事をし、眠るという、繰り返しの連続です。しかし、この繰り返しの日常の中にこそ、私たちの人生の大半が詰まっています。だからこそ、この日常を大切にすることが、幸福な人生を送るための基盤となります。
朝起きて窓から差し込む光を感じる、丁寧に淹れたコーヒーの香りを味わう、通勤途中の景色の中に季節の変化を見つける、家族や友人との何気ない会話を楽しむ、といった小さなことを意識するだけでも、日常は豊かなものになります。
非日常は、日常を彩るアクセントのようなものです。非日常があるからこそ、日常の価値が際立ち、また、日常が充実しているからこそ、非日常を心から楽しむことができます。重要なのは、非日常にばかり目を向けるのではなく、足元にある日常をしっかりと見つめ、慈しむことなのです。
Geminiより引用
感じたことをAIに日記のように話していると、上記のようなアドバイスをくれました。
今年は、日常の幸福度を上げるためにアンテナを張っていきたい。
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